【BU-4/00】

2000年製作
デジタルVIDEO撮影

カラー   NTSC VHS【販売終了】
製作   荒川雄介(HOMORO)
      内貴隆輔
      本田智    

出演   荒川雄介(HOMORO)
      山口和己(OKAMACHAN)
      平田聡
      林良一
      飯田友久(CHOGERU)
      平尾泰章
      越野マサシ
      角田ナユタ
      KOBA
      Makoto Ozaki
      井上徹
      徳原
      上村昌義
      内貴隆輔
      伊藤祐次(U-Z)

      他多数

※製作年から相当日数が経過しておりますので
  一部ノイズ、聞きとりにくい箇所が御座いますが予めご了承下さいませ。

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オリジナルメンバーが更に飛躍する為に各分野に行った後
約3年間は他のビデオの撮影をしたりしていたが
【SUNFLOWER】名義でビデオを出す意欲は僕の中に
沸々とあり、ただイメージが固まってない状態だけであった。

そんな悶々とした撮影期間の時折、当時京都でメキメキ実力を
つけていたルーキー平尾君と出会った。

最初は「サンフラワーをイワす為に滑ってる」と面と
向かって僕に言う子であったが、僕は逆にその威勢の良さが気に
入り彼を追って撮影を始めた。

キップが良く気さくな性格の平尾君を慕う子達は非常に多く
あれよあれよと言う間に沢山のスケーターと出会うきっかけを
与えて貰った。
そんなにぎやかなスポットで一際無口で、多人数でいても
何がしら"孤独"なオーラを一際放っていたのが

奥出良一。

彼は誰ともしゃべらないが、何故か僕には良くお話しをしてくれた。

彼の口から1つ1つ言葉を選びながら発せられるお話は
「滑り過ぎで全身痙攣をして3ヶ月寝込んだ」や
「通勤ラッシュ(早朝)でごったがえす駅で1人でスケートしてた」
など、おとなしいのだが非常に一本切れた話ばかりで
OKAMAちゃんこと山口君にも似た【天性の変わり者】の匂いが
プンプンして思わず

「君(奥出)のライディング映像見せて」

と言ってしまった。

彼はどこで拾って来た?と思う位汚い重ね撮りしまくった後のビデオ
テープの上に自分のライディングを入れて渡してくれた。
目を細めないと分からない程荒い画像でも奥出君のライディング
が相当上手いのは分かった…。

「SUNFLOWER入って」
と言う僕に
「うん」
と奥出君は屈託のない笑顔で答えてくれた。

"類は類を呼ぶ"ではないが
OKAMA、平尾君、奥出君は非常に仲良くなり一緒に
つるむ仲になるのに全く時間はかからなかった。

そこで奈良にいたSUNFLOWERライダー平田プロに
ルーキーを紹介しに奈良に出向いた。

平田プロの案内で出向いた奈良のスポットで
数十年ぶりに出会ったのがCHOGERUこと飯田プロ。

既に数十年前から「奈良に恐ろしいオーリーをする子がいる」
と有名だった彼は、当時ツンツンにとがっていて、しかも恐ろしい
人見知りで有名だったが、何故か平田プロや僕、
ビデオ製作担当の内貴には懐いてくれていて
十数年ぶりの再開とは思えない親しさで接してくれた。

「僕とか平田ちゃんがやってるチーム入る?」との僕の問いに

言葉は発せずニコっとしてくれた瞬間、新生SUNFLOWERは
完成した。

みんなで泊まりで滑りに行っても極度のホームシックで熱を出す
奥出君。
「一体いつ止まるねん」
と突っ込みたくなる程滑りぱなしのCHOGERU
呑み過ぎで滑って目の上を10針近く縫った平尾君
ストリートで滑っていて真剣に移動出切ると思ってフルプッシュで
路駐してある車に体当たりするOKAMAちゃん

オリジナルメンバーに全く引けをとらない濃いメンツに
「コレは1本いける」と僕は確信をした。

この噂を聞きつけたのが滋賀で活動していたチーム
【G.B.S】の面々。
SUNFLOWERとは何かと対立していた存在ではあったが
G.B.Sをまとめていた井上徹プロは
「一緒にビデオ出たい」
と言って来てくれた。

元々、天邪鬼で他と一緒のビデオを作りたくないと言う思いが強かった
僕は「トンデモないビデオ作るかもよ…」と言ってるのに
合作を強く望んで来た。

そんなかんなで2つのチームが合体して【GBSUNFLOWER】として
ビデオを作る事が確定し、撮影を本格化する運びとなった

京都五条大橋のたもとのウドン屋で…。

 

今までのオリジナルメンバーはセーブして次のビデオに…とか
締め切りまでまだあるから…みたいなのがあったから撮影は良い意味で計画的、
悪い意味で計算ずくな面があったが、【GBSUNFLOWER】のメンツは
全員がビデオ撮影が初めてでセーブする事を知らないが故
常にフルスロット
毎週休みには他府県に出向き、夜はストリートで撮影し
貯金をはたいてアメリカまで出向く熱の入りようだった。

具体的なスポット名は避けるが、京都で最も大きい飲み屋街
のど真ん中にあるバンク(傾斜)でしかも土曜の夜に撮影した映像が入ってる
ビデオはこのbu-4/00だけだと思う。
今思えば「良くややこしいの出てこなかったな…」と冷汗ものだけども
当時の超イケイケぶりが垣間見れる名カットだと僕は思う。

そんなこんなでおっそろしい勢いで素材が溜まり始め
1作目の時の「このビデオテープまた全部チェックするの…」と言う状態に
なれた事は嬉しかったが、130本以上の60分デジタルテープをチェックするのは
恐ろしい根気を必要とした。

スケートシーンの整理がある程度落ち着くのに約3ヶ月を要し
そこから、実際にビデオを作る工程へとうつる事になったのだが

僕が撮影前にG.B.Sのボス井上徹に「トンデモないビデオ作るかもよ…」
言ってた様に僕は
一体誰が喜ぶか一体どうやって作るのかなんて全く考える事なく
どうししても【チャンバラ】と【スケートボード】を合体してみたいと
スケート撮影を行っていた数年間、そしてG.B.Sと本格的に撮影を
していた間中ずっと考えていた…。

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僕のオナニー以外何ものでもないイメージを
製作担当だった内貴は非常に共感してくれた。

この内貴、過去のビデオでも紹介があった様にとにかく"違う事""喜ばす事"に異常な

執着がある彼、気ぐるみを着て自分でエントリー費を払って大会に出たりするのもそ

一端だったと言える。
(確か着ぐるみのレンタル代が2万円、エントリー費が3000円だったと思う
もちろん自腹)

余談ではあるが、その大会では【よくがんばったで賞】にノミネートされ
事もあろうか大会開催地の市長さんが賞を手渡す壇上への階段でも
見事にわざとらしくコケ、マイクを市長さんのオデコに当てるというオマケまで
付けてくれた。
SUNFLOWER以外の会場の参加者はドン引きだったけども....。

相当話がズレたが、内貴は僕の「どうしてもスケートビデオにチャンバラを入れた
い」
と言うズレきったイメージにありとあらゆる見解からのストーリーを僕にくれた。

最初はただたたんに刀をひらったスケーターがチャンバラしてしまう...みたいな安
直な
ストーリーから始まり、次は日本のハリウッド【太秦東映映画村】でスケボーして
わざと侍役のオッサン怒らせてみるとかそんなのだったけども

僕も内貴も「何もソコまで考えなくても...」と言うくらい歴史資料をあさって
何とかスケートボードとチャンバラを結ぶ点を模索した。

同じ高校の同級生だった僕と内貴。
その情熱を学生時分の勉強に向けろよと20歳越して気付いてはいたが...。

桜が散ってセミが泣く頃
○誰もが知ってる侍
○京都
○チャンバラ
そこまで絞りこんだ状態で2人の出したイメージが

【坂本竜馬暗殺事件】

色々と諸説があり一概には言えないが、有名な坂本竜馬が暗殺された理由
そして犯人は今だ謎で、実に暗殺3時間前までの記録が残っているのに
(ちなみに竜馬は暗殺当日
風邪を引いていて鍋を食いたいと言っていたまで記録があるらしい)
誰に殺されたのかは分からないらしい。

そら普通に考えれば脱藩し、日本の改革を訴えた男であるからにして
敵が多いのは明白ではあるが、そこを知ってる人はいない訳であって

【竜馬はスケボーが原因で暗殺されたのでは?】

ちゅうおっそろしく頭の悪いイメージを固めてみた。

お題が出たと同時に何の計画もなく絵コンテを書き上げた。
出演はもちろん【GBSUNFLOWER】の面々。
役者では無いので台詞なし。あくまでもスケートビデオの"彩"ではあったが…

で、実際の撮影にうつる事になったが竜馬役の奥出君がロン毛で
竜馬に似てる以外は良く考えたら刀一本、着物、帯すら何も無い事に
その時点で気付いた。

日本人なのに日本の民族衣装でこんなに苦労するとは思ってもいなかった。
そらお金に糸目を付けないのならいくらでも着物も模擬刀もある。
ただ予算が笑う程無い。に重ねて資金源の僕が事故をしてしまって
更にお金は無くなった。
ダメ元で東映の衣装部に電話しても「何かお間違えでは?」との返答。

「絵コンテだけでやめようか...」

流石に2人でそうなった時に、通いの古道具屋の店の店主から
「東映の払い下げ専門の古着屋がある」と聞いた。

劇団や小さなプロダクション専門で生業を立てている古着屋で
一般の人は入れないらしいが、古道具屋のオッサンの紹介で何とか潜入した。
気さくな店のおばさんに「1万円もない」そう言った。
鼻で笑い「帯も買えへんで」そう言うオバハン。

ダンボールを指差し「あそこから好きなだけ持って行き」そう言ってくれた。
何でも元"スタント用"の着物で使い物にはならない着物らしい。

汗とホコリとナフタリンの臭いで充満した大き目のダンボールからは
多少破れてはいたが探しても探しても無かった羽織袴(ハオリハカマ)や
帯、着物がゴロゴロ出て来た。
ダンボールに半身を入れ漁り倒す僕にオバハンも乗ってくれて
武士の着物の着こなしや羽織袴の着方のレクチャーまで付けてくれた。

「俺も出たい」

そう言っていた内貴には竜馬の親友として有名で暗殺時にも一緒にいた
中岡信太郎役をあげていた
その内貴がいない?

ふと店内中央のちゃんとハンガーにかかっている【売り物コーナー】
に目をやると若い女性の店員に綺麗な羽織袴を着せてもらって
そのままの格好でお会計をしていた。

店員の人は
「全部で2万円になります」
そう言っていた。 自腹なんだから良いけど...。

帰りの車の中で内貴は
「あの純白のウェディングドレス取り置きしときゃ良かったわ」

そうとも言ってたが何とか"彩"部分の撮影に漕ぎ着く事が可能となった。

いざ撮影に入ると実にスムーズに事は進んだ。

是非本ホームページでアップされている"彩"部分の映像を
思い浮かべて下記文章を読んで頂きたい。
(台詞ナシの為、今まで8年間ずっと補足説明がしたかったので)

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スケータA(平尾)とスケーターB(ユウジ)がスケートボードに
乗って京都の街をクルージング。
徐々に仲間(REAL SEEK CREW)が増えて
大人数で街をクルージング。
京都では非常に有名な巨大な鳥居の"上から"スケーターを
見下ろす構図に。

◆詳細は割愛するが、この巨大な鳥居と同じ目線で下を見下ろす
  映像が意味なくどうしても撮りたくて撮ってみた。
  どうして撮ったかはエンディングのどこかに一瞬挿入してあると思う。

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疲れたスケーターAとB、途中で合流したであろうスケーターC(HOMORO)が
どこかの神社の井戸もたもとで休憩しようとする…運悪く井戸にスケーターAの
スケートボードが落ちてしまう…。

◆ここも場所の詳細は書かないが手軽に近付ける井戸を探すには苦労した
  一般的に井戸は深く、子供が落ちたりしたら大変なので安易には近付けない
  造りになっている。
  実際この撮影も中に1人もぐりこんで本当にスケートデッキが井戸に落ちない様に
  キャッチしていた。
  このシーンが【起承転結】で言うなら【起】部分な為どうしても外せなかった。

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画面が古い画質になり、百姓(平田)が井戸のたもとで一服している
突然、井戸から不思議な板状のものが飛び出し、驚いた百姓はそこから逃げて行く。

◆ここが映像で説明するに非常に苦労したが【井戸】がタイムマシーンとなって、昔
の時代に
  スケートボードが飛んで行ったというシーン。
  先程同様、うなり声を上げながら井戸の中程から平尾君がスケートボードを外へ
  投げ出すっちゅう恐ろしくアナログな手法で撮影。
  ただの体力勝負だった。

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井戸のたもとで落ちている物を見て、荷物運びに便利だと閃く商人(U-Z)

◆ほっかむりをした仮FLOWER(チーム)のU-Zはあまりにもこの役がハマっていた
  これでスケートボードがどこかへ移動する事になる。

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京の街まで楽に荷物を運んだ商人(U-Z)はその便利な板を捨てて商売へ。
つかさずその板に興味を持って近付く浪人(平尾)。

◆「江戸時代にアスファルトないやん!!」とツッコみは入ったが、ここまで来たらゴ
リで
  撮影は突き進んだ。

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不思議な板を持ち帰り
「一体何だ」と色々触る浪人(平尾)刀で突いてみて
足を乗せる。スケートボードが転がって浪人はコケてしまう。
逆上した浪人は刀でその不思議な板を斬りつける。
刀が負けて浪人の要、刀が折れてしまう…。

◆ここも台詞がない分困ったシーン、要はスケートボードのトラック(鉄部分)に刀が

 あたって刀が折れてしまうと言う事。
  スローシャッターでエフェクトがかかっているので殆ど意味は無かったけども
  刀は発送スチロールで折れ易く作ったのがお金が無いから1本しかなく
  ぶっつけ本番だった無駄な緊張感ある撮影となった。

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捨てられた不思議な板を靴を履いた侍が拾う

◆強引にここで竜馬とスケートボードを引っ付けた

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カメラマンがシャッターを押す。フラッシュが光って竜馬が写る。

◆有名な竜馬の写真にスケートボードを合成で入れた。

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クライマックス、中岡新太郎(内貴)と竜馬が酒を飲んでいる。
刀を折られた浪人が仲間(井上)引きつれ当然押しかけ
竜馬では無く、"不思議な板"を斬り付けるつもりで
刀を振り落とす。運悪くスケートデッキの"木"部分に刃物が当り
板を貫通し竜馬も斬られてしまう…。 

◆ここも僕の演出不足で解りにくい上がりになってると思うが
  浪人は竜馬を暗殺するするつもりでなく、あくまでも"スケートボード"
  を切りに来たという設定。
  撮影用に切れてるデッキと切れてないデッキを用意し
  白黒なのに血ノリ用の赤ペンキを買い込み撮影場所(内貴の家の客間)の畳を
  ペンキだらけにして彼の親にこっぴどく叱られた。

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現代に戻る(画面もカラーに)
まだ井戸に落ちたデッキを探すスケーターA。
目線を移し、神社境内に気付く。ボロボロのスケートデッキが奉ってある。
「コレ僕のデッキに似てる」と思うスケーターA
「そんなはずない」とスケーターC
あきらめて神社を後にするスケーターA,B,C3人。
そんな3人を掃き掃除をしながら見送る神社の人。

◆ここも、説明不足、台詞ナシで苦労したが
  要は【井戸】がタイムマシーンになって、現代のスケートボードが過去へ行き
  ソレが原因で竜馬は殺され、時間軸がずれて現代に戻ってるって設定。
  小道具のスケートデッキはリアルさを出す為に故意に雨ざらしにし
  トラック(鉄)部分は侵食促進剤をかけて錆を出して、2つに切ってから"和紙"で
  また引っ付けた。
  たかが数秒、多分スケートビデオを期待してる人は100%早送り部分に異常な拘り
  を持った(ただ後に引けなかっただけかも…)
  10000%解らないけどもそのスケートデッキの横には【竜馬愛用の刀】と書いた
  看板まで作った。
  神社で掃き掃除をしている人は竜馬役の奥出で、一応"竜馬の子孫"って設定。
  実は境内に祭られてるスケートデッキはウィル(車輪)が1つ無い。
  その1つは奥出扮する"子孫"が首から数珠代わりにかけている
  映像では絶対わからないけども…。
 
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とまぁ、絶対誰も読まないだろうと解りつつも
どうしても書きたかったので書きました。
今思っても、ラーメンで言うたら"コショウ"カレーで言うたら"らっきょ"
いやそれ以下の扱いの部分でここまで拘って撮影したのか今でもわからない。

暇では無かった。みんな仕事もしていたし、時間は限られていた。
でも、本文にもあったみたいに"後に引けなく"なっていただけだと思う。

撮影が終わった瞬間に切ってもらってたけど(エンディングでそのシーンは収録して
ある)
この撮影の為に2年間髪の毛を切らないで竜馬役にそなえた奥出君。
成人式に行けなかったから撮影で羽織袴を着れただけで喜んでくれた
奥出君を見て僕は素直に嬉しかった。

使い物にならないボロボロになった着物を手縫いで
仕立て直してくれた大川さん

数秒の殺陣(タテ)のシーンの為に闇連してた浪人役のルー井上と平尾君

「ホンマの撮影ぽいやん」ちゅう恐ろしいバカげた理由にも関わらず
ヘアメイクさんを快諾してくれた美容師のナエちゃん

「免許ないと触ったらアカン」て言いながら殆ど意味なく
家宝の本物の刀を見せてくれて協力したつもりになってくれた内貴の親父。
(親父はちゃんと国から発行された免許と所持証明持ってるので安心を)

「竜馬にスケボー持てせて!!」ちゅうこれまた意味不明なお願いに
本業のデザインの仕事の傍らで「なにもここまでやらんでも…」
と思う位パーフェクトな合成写真を作ってくれた横山キック。

今思っても
悪質な【集団催眠】としか思えない勢いで全ての人が僕と内貴の
オナニーに付き合ってくれた。本当に真剣にこんなバカげた撮影に付き合って
くれたみんなに今でも感謝している。

こうして、ラーメンのコショウ以下の部分は撮影を終えた。

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【撮影】はスケートボードシーン、チャンバラシーンと
納得いくまで出来た。
全ての撮影作業が終わった時には街路樹のイチョウはまっ黄色に
なっていた。

さて、次に【編集】。
僕の元には3ヶ月かけて素材から"使い"をまとめたテープと
ラーメンのコショウ的な"彩"部分の素材テープがあった。

1作目から一緒に編集してくれていたプロの映像作家集団
【PRIME FACTER】の面々はやっぱり当たり前にプロとして
テレビやPV関係の仕事をバリバリこなす集団になり
拠点を東京に移していた。

ここで書いて良いのか分からないけども
当時大ヒットしていた"ゴスペラーズ"のPVをPRIME FACTERの
宅野氏が監督し、彼の才能も高く評価された時期で
僕の作る超マンモスドインディーズなビデオ
に関れる時間なんて1秒も無い位忙しくしていた。

ある程度の編集技術は僕にも
あったものの時代はリニア(テープ)編集から
ノンリニア(デジタルデータ)編集がボチボチ主流になりつつあった時代で
つまり
今までヴィデオデッキのタイムコードを見ながら勘とリモコンで編集する時代から
全てモニター上でマウスで編集する【パソコン】の時代へと移る過度期だった。

僕もパソコンは持ってはいたが
主にエ○サイト観覧程度の知識しかなく
先ほどと同じくバリバリ映像作家で頑張っていた
PRIME FACTERの高瀬氏に

「パソコン詳しい人を紹介して」

そう頼み込んだ。

「困った時は僕も彼に相談してるねん」
そう言う高瀬は、大手プロダクションを辞めてフリーで活動している

本田智 なる人物を紹介してくれた。

同じ大学で同じ映像学科で年は上だけど、浪人して入学して来た人で
ごくごく微量であるが面識はあったが
ほぼ初対面に近い本田君に電話連絡してみる。

スケートボードのビデオなんだけども、誰もやった事ないチャンバラと
合体させて、多分受けは悪いけど素材も全て揃っているので
どうしても1本の作品として完成させたい旨を彼に伝えた。

「面白そうだね。やろうよ」

彼は僕の思惑とは裏腹にアッサリと快諾してくれた。

指定された場所にチャンバラパート担当(勝手にそうした)の内貴と
出向いた。
小さな山のてっぺんにそこはあった。

【○×荘】

そう書かれた恐ろしく古いオール木造のアパート。
秋風が少し肌寒く感じる夜だったが、アパートの佇まいが更に
肌寒さを助長させていた…。

「上がってよ」

2階の窓から少しふくよかな本田君がウチワで扇ぎながらそう言った。
肌寒い夜にそのインパクト大な登場は今でも鮮明に記憶にある。

この瞬間から半年以上、奇妙な編集共同生活が開始した。
今、テキストを打っていてどこがスケートボードのサイトやねんと
思っているが、続ける。

 

とにかくこの○×荘、中国人のチンさんにアメリカ人のピーター
日本人だけど一番外国人みたいな漫画家志望のM君…なんかDJもいた気がする
3畳間で3人暮ししてる中国から来た美人な女の人達もいた気がする

今、中古で2万円程度で手に入るパソコンが当時は最先端だった。
実家が電気屋のSUNFLOWERライダーの平尾君が専門的知識で変電機に
チョット魔法をかけてくれて(笑)
そのパソコン2台、24時間半年間フル稼動、本田君と交代制で
編集をした。

専門的な話になるが、映像をデータ化する作業で"レンダリング"と言う
工程がある。
現在の最新機種なら5分とかからないこの工程が当時は
18時間とか当たり前にかかっていた。
その間はもう1台のパソコンで作業を続け一人は倒れこむ様に寝る。

内貴は映像が上がると
「テンポ悪いわ」とか
「色味が悪いわ」。そう言うと寝る。

共同便所で、共同シャワー、共同シャワーが満員だと真冬なのに
共同炊事場のタライで身体を洗ってる奴がいる。
ベニア板一枚程の壁の向こうではどこかでナンパして
来た女をピーターが爆音のトムジョーンズを流しながら口説いてる。
ちなみにピーターはいつも3畳間で女を口説く時に
「昔の家は40畳あったんやんかぁ」って言ってたが、何でアメリカ人が【畳】やねん
しかも物凄い関西弁やんといつも思ってた。

定番のガスを止められてバーベキューか石油ストーブで作れる物を食い
N○Kの集金のオバハンもはなから来ない。(TVアンテナがないから)

部屋に戻ったら全く知らない中国人がいて
「美術館行かないか?」
て言われた事もあった…意味は今でも全く分からない。

本田君は編集で疲れて明け方にガラス窓が揺れる位にエレキギター
かき鳴らすし、コックだったチンさんは
見たことない中国の食べ物を持ってくるし(意外と美味かったりする)
どこかの部屋で【鍋】をやってるとそれは
○×荘全体の晩飯が鍋になった。

【早稲田三畳青春期】と言う
平成にひっそり残ってる昭和産まれのアパートで
繰り広げられえる人情フィクション
の著書を読んだ時、
「こんな事本にするネタなんか…?」正直そう思った。
ソレ位メチャメチャな木造アパートだった。

誰も見た事ない最先端の映像を作ろう!!
と息こんでいたいた3人だったが、現場はそんなハイテクな臭いなんて一切ない
ものだった。

ビデオは1秒30フレームで進行しているのだが
たった2~3フレーム(1/15~1/10秒)のカットで3人で大喧嘩に
なったりもしたが、本物のテレビ関係の仕事をしていた本田君
スケーターとしての"間"を信じる僕、別に何でも良い内貴。
内貴は省いて残りは
どちらも拘りあっての衝突で今となっては良い思い出だが
ビデオは寄り道もしながらゆっくりと完成へと向かっていった。

あまりにストレンジで楽しい○×荘での共同生活で
しまりが無くなった3人は
ディストラビュート(卸売り)をお願いしていたメーカーさんからの
「そろそろ完成させないと卸さへんど!!(怒)」
の一言でピッチを上げた。

とにかく出演者、これから販売して頂くショップ様には完成を観て頂こうと
関係者のみの0号試写を行う為に2月17日夜9時からギャラリーを1晩借りて
行う事になった。
ギャラリーを借りるにはそれなりの料金がかかる。
もし完成しなかったらそれなりの損害が出る。
もちろん試写の案内をすればそれなりに人数が集まる事になる。
マジでケツに火がつく勢いで仕上げに向かった。
ほぼ1週間不眠不休で2月17日の夜8時30分に
”BU-4/00"(これで武士と読む。00はただ2000年て事)
は完成した。

関係者は出演しているから思い入れもある。
0号試写はおおいに受けた。

そこから残りの貯金の全てを使いはたし、製品としてのヴィデオを作りメーカー様に
納品した。

今だからこそ書くが
「はぁ?」って感じの事や
「関西はウケ狙わないと駄目なんスか?」みたいなイヤミは他府県のショップ様から

山ほど言われた。
でも作った僕は悪いがそんなショップ様に敵意も全く感じなかったし
それは当時(いや今も)のスケートシーンからしたら超対角線上のヴィデオだった
から正当な評価だったと思う。
何なら「もっとイジめて!!」まで思っていた。

ただ、類いまねなるタイミング良さと運の良さでアメリカのトッププロ”ダニーウェ
イ" の
家にホームステイしたチョゲルがこのヴィデオをダニーさんに観せた時
ダニーさんの子供の”RAIDEN"ちゃんが喜んでくれて、そんなRAIDENを見て親父の
ダニーさんのテンションが上がってマドンナのライクアバージンを爆音で聴いていた

事をチョゲルの土産話で聞いたのと
これまた類いまれなる運の良さでたまたま京都に来ていたアメリカのレジェントス
ケーター
”ランスマウンテン”が同じくこのヴィデオを観てくれて
何かのパンフレットを丸めてチャンバラごっこを同行していた
アンソニーヴァンエンゲレンやスコットジョンストン、ハフやモントーヤと
やっていたのを近距離で見て
国内で何と言われようが本場アメリカのトッププロをスケートスキルで負けようが
「イワしたった」そう思えた事で僕は満足した(他の出演者はどう思ってるか知らな
いけども...)

とまぁ、だれがここまで読むのか分からないけども
メンバー、構成、製作班、全てが一新して卸会社様の
ご協力の基、今までとは桁違いの本数が世に出て....etc

まだまだ書けるけども
いい加減にしろ!!て言われるのでこの辺で止めます。


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